JR奥羽本線の大釈迦駅の変遷を見ると激しい時代の変遷を
最も顕著に表しているのではないかと思う。その背景には
道路網の進歩発展と物流の変遷、人の流れを変えざるを得ない
社会構造の変革の影響をまともに受けた町であると思う。当時の
私の記憶を遡れば大釈迦駅は青森市の鶴ヶ坂の峠を突き抜ける
登り口であったので蒸気機関車が常駐していて、大釈迦駅で
2連の蒸気機関車に連結し坂を登っていく姿が勇ましかった。
蒸気機関車連結の都合ですべての急行列車が停車する駅でした。
その頃駅には五所川原方面へ向かう荷物、五所川原方面から
貨物列車に積み込む材木やリンゴ箱を貯留するヤードがあった。
そんな流通拠点だったのでとても賑やかな駅でした。
駅前には数件の商店や食堂、理髪店、交番、郵便局が立地して
いましたが、昭和35年ころに峠の下を通る新しいトンネルが
完成したことで蒸気機関車からディーゼル気動車へと転換。
また同じ頃、国道7号線のバイパスが完成し、荷物の流通も
鉄道輸送からトラック輸送へと変わっていき、貨物の
積み下ろしが無くなったのでヤードが廃止されました。
その後は商店が次第に廃業し、通りには商いの匂いが無くなり
駅前にあった郵便局も7号バイパス沿いに移転、木造の駅は
解体され無人駅に、それに伴ってKIOSKも廃止となりました。
現在の駅前は青森市や弘前市へ通勤する人の車の駐車場です。