青森県黒石市・對馬省次、昭和30年頃まで交通の要衝だった大釈迦駅周辺の現在
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今回は 2024.1.14 に更新しました。
次回は 2024.1.21 に更新予定です。

昭和30年頃まで交通の要衝だった
大釈迦駅周辺の現在


現在はJR奥羽本線の弘前・青森間の中間に位置し
普通列車のみ停車の無人駅・大釈迦駅(クリックで大画面)

現在の駅舎は陸橋の降りたところに数人が座れる
待合室がある・Suicaが使える(クリックで大画面)

駅を出ると五所川原へ向かう道は昔のままだが
当時とは全く変わってしまった(クリックで大画面)

当時は木造の大きな駅で駅舎にはKIOSKがあり
五所川原行きのバスが出ていた(クリックで大画面)

地域のコミュニティの拠点だった大栄小学校も
近年廃校となった(クリックで大画面)

駅は交通の要衝だったので郵便局は駅の傍にあった
現在は国道7号線沿いに移転(クリックで大画面)
JR奥羽本線の大釈迦駅の変遷を見ると激しい時代の変遷を
最も顕著に表しているのではないかと思う。その背景には
道路網の進歩発展と物流の変遷、人の流れを変えざるを得ない
社会構造の変革の影響をまともに受けた町であると思う。当時の
私の記憶を遡れば大釈迦駅は青森市の鶴ヶ坂の峠を突き抜ける
登り口であったので蒸気機関車が常駐していて、大釈迦駅で
2連の蒸気機関車に連結し坂を登っていく姿が勇ましかった。
蒸気機関車連結の都合ですべての急行列車が停車する駅でした。
その頃駅には五所川原方面へ向かう荷物、五所川原方面から
貨物列車に積み込む材木やリンゴ箱を貯留するヤードがあった。
そんな流通拠点だったのでとても賑やかな駅でした。
駅前には数件の商店や食堂、理髪店、交番、郵便局が立地して
いましたが、昭和35年ころに峠の下を通る新しいトンネルが
完成したことで蒸気機関車からディーゼル気動車へと転換。
また同じ頃、国道7号線のバイパスが完成し、荷物の流通も
鉄道輸送からトラック輸送へと変わっていき、貨物の
積み下ろしが無くなったのでヤードが廃止されました。
その後は商店が次第に廃業し、通りには商いの匂いが無くなり
駅前にあった郵便局も7号バイパス沿いに移転、木造の駅は
解体され無人駅に、それに伴ってKIOSKも廃止となりました。
現在の駅前は青森市や弘前市へ通勤する人の車の駐車場です。



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