あずましの里通信へ戻る 今回は 2024.3.17 に更新しました。 次回は 2024.3.24 に更新予定です。 市内から車で20分ほど国道346号線を
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まだ、真新しい浄仙寺の鐘楼堂 (クリックで大画面) |
浄仙寺の本堂、背後の高い山が黒森山 (クリックで大画面) |
朽ち果ててきた仁王門の足元に立つ地蔵尊 (クリックで大画面) |
浄仙寺の山門に入る入り口の標柱 (クリックで大画面) |
黒森山の中腹にある浄仙寺は森に囲まれ静かな境内は清水の名所です。 境内にはコーヒーショップがあり、くつろげる場所でもあります。 また本堂の裏山斜面には俳人、歌人による文学碑が数多く建っている。 浄仙寺の歴史は江戸時代の文政7年に黒石市内のある鍛冶工が27歳の時 京町にある来迎寺に弟子入りし、文政7年に山に籠もって修行を申し出 黒森山中に至り現在の場所に庵を結び50年間一度も山を下りず修行をし 信者が徐々に増えて寄進により本堂、庫裡、仁王門、阿弥陀堂等を建立 して明治時代に入る。寺に修行で入る青年たちに読書算術を教えていた が、さらに宿泊所を設けて黒石町付近の有力者の子弟たちが修学した。 これは寺子屋「黒森学校」と称され、黒石の政治家経営者など著名人を 多くを輩出した。そんな訳で黒石の発展に大きく寄与したお寺である。 ちなみに本堂の裏手にある高い山は「黒森山」(通称「ボンズ山)という この山の山頂から麓にかけて数多くの「竪穴住居」の跡が見つかっている。 おそらく縄文時代から平安時代にかけてのいずれかで人が住んでいたと 思われるが、発掘調査が行われていないので、その実態は曖昧である。