あずましの里通信へ戻る 今回は 2024.3.17 に更新しました。 次回は 2024.3.24 に更新予定です。 江戸時代初期に「田山藤左衛門」によって
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黒森集落付近の中野川に設けられている 田山堰の頭首口(クリックで大画面) |
この標識板によると昭和44年に新たな工事で 堰の頭首口が改築されている(クリックで大画面) |
当時の青森県知事「竹内俊吉」氏の揮毫による 竣工記念碑、右に見える壁が操作室(クリックで大画面) |
水門の開閉が電動化されていて川の右岸の 操作室で行う(クリックで大画面) |
江戸時代の初期(明暦2年から6年)に4年の歳月を掛けて黒石の中野川から 取水して水田開発のための用水路工事を行った。その用水路開削工事を 任されたのが当時の弘前藩の普請奉行であった「田山藤左衛門」である。 この明暦2年は黒石に分家した初代の「津軽信英公」が黒石に陣屋を 設けた時期でもある。この用水路の目的は現在の築館、中村、牡丹平 石名坂、出石田、福民、長坂、上十川、高舘、三島までの地域を潤す 事であった。この用水路工事には黒石近郷の村々から人夫が動員され 黒石陣屋からは延べ3000人、弘前藩からは延べ5000人が働いたという。 この用水路のお陰で開墾された水田は概ね100年の間に80町歩に及ぶ。 以前に紹介した田山堰の写真は主にこの用水路の途中の工夫された配水 方法がよくわかる物でしたが今回はその用水を取り入れている 中野川の「頭首口」を取上げてみました。 中野川の水源は八甲田山系の西斜面、一帯の山麓にその源を発し横岳 からは中野川、南沢岳からは大小川、上湯沢山からは上湯沢川などが あり山麓の湧き水によって年間通して安定した水量が確保できている。