中国・新疆ウィグル自治区・ウルムチ・イーニン・コルガス旅行日記



2011年9月5日出発~9月13日帰国

2011年9月5日

今回は静岡大学昆虫学の平井教授と東京大学食品科学科の境教授の三名で
羽田空港から定期便で中国上海空港へ向かいます。
羽田発の中国東方航空-MU0538便に搭乗し13時40分に離陸、
上海虹橋空港に15時35分に到着しました。
空港で中国元に両替し、タクシーで予約してあるホテルへ向かいました。
宿泊したホテルは Yihe Longbai Hotel (address)2451 Hongqiao Road
Shanghai 200335 China (Tel:86-21-62689111)でした。
その夜は上海の夜を楽しみましょうという事で「外灘(ワイタン)地区」へ
タクシーで出かけてきました。

「外灘(ワイタン)地区」の夜景


「外灘(ワイタン)地区」のホテル「和平飯店」に入ってジャズの生演奏を聴きながら一杯。
バーでオールド・ジャズ・バンド(老年爵士楽団)の演奏を楽しみました。
上品なバーで、古き良き上海の雰囲気を満喫しました。

ホテル「和平飯店」


2011年9月6日

午前5時40分起床
ホテルの朝食はバイキング形式、
朝食後荷物をまとめて8時40分にホテルをチェックアウト。
タクシーで上海駅へ。ここでこれから飛ぶ「烏魯木斉(ウルムチ)」から
「伊寧(イーニン)」までの長距離列車のチケットを予約します。

上海駅


昼12時、ホテルからタクシーで上海虹橋空港第二ターミナルへ
空港国内線で手に持つ検査後、空港レストランで昼食。
13時20分搭乗ロビーへ移動。14時「中国東方航空」 FM-9219便に搭乗。
およそ40分遅れの14時20分離陸、一路「烏魯木斉(ウルムチ)」空港へ。
17時20分頃タクラマカン砂漠上空を通過、
ウルムチ空港到着19時25分(北京時間)。

ウルムチ市内


到着後、空港からタクシーで宿泊先のホテル「電力賓館」へ
ホテルの宿泊料金は3名で2部屋、合計1,400元でした。
夕食はホテルのすぐ近くに大きな交差点があって、
その周辺が大きな屋台村のようになっていたので、ここでゲット。
ビールとチキン、焼きそば、焼きとりを購入む、ホテルの部屋で。
これから向かう「イーニン」での行動について話し合う。

ウルムチのホテル「電力賓館」


2011年9月7日

朝8時朝食後、イーニンへ長距離列車に乗るので荷物をまとめる。
9時に荷物を持ってタクシーでウルムチ駅へ移動。
ウルムチの駅は正面が5階建てでホームが三階建て。
駅の入り口で荷物検査、ボディチェック、パスポートチェックがあった。
9時30分に上海で購入した切符を手に改札を通って3階の待合室へ。
ここでアナウンスがあるまで待機。
待合室で待っていると一人の若い女性(モンゴル系らしい)が近づいてきて、
境教授に話しかけてきた。私も何事かと一緒に話を聞くと、
どうやら日本の千葉大学に留学している女性らしく、日本語が出来る。
彼女の実家は「イーニン」ちの事で、同じ電車を待っていた。

ウルムチ駅で出会った大学生


彼女とはここで分かれて別々の車両に乗った。
列車の中は造りが古いので多少揺れましたが、
広大な平原の景色を見ながらの旅で、ウィグル地方の空気を満喫。
盛んに外の景色に見とれながらカメラのシャッターを切る。

イーニン行きの列車から外の景色を


列車の乗客はほぼ現地の方たちでとても混み合っていて賑やかでした。
私たちは何の話なのかさっぱり解らないので、ただ黙って聞いているだけ。
社内販売の買い物をするやら、持ち込んだ食べ物をたべるやら、みんな陽気です。
しばらくして、私たちは食堂車に移動して、ビールを飲みながら懇談してました。

列車の中は現地の方たちばかりで賑やか


ウルムチを出発しておよそ二時間経った頃に
車両のドアから4人の検札官(4人とも漢人)が入ってきた。
彼らは乗客ひとり一人から切符と身分証明書の提示を求め、
ハンディーリーダーにかけてデータを読み込んで本人に返す。
そして私たちの所まで来ましたが、顔を見ただけで何も調べませんでした。
果たして彼らは何の目的で身分証をチェックしていたのでしょうか。
写真を写したら逮捕されそうなので写していません。

列車の旅で見かけた風景を二三紹介します。
こちらは沿線の畑で綿摘みの作業している方たちです。

綿摘みをしている農園


こちらは鉄道線路に沿って走っている道路沿いに敷きつめられた唐がらし。
この赤い帯は草原の畑が続く限りどこまでも延々と続いていていました。
さすがに荒れた荒野には見かけませんでしたが、、、、。

草原に広がる赤い絨毯


夕方になって列車は山道にかかってきました。
これから山脈を越えたところに「イーニン」の街があります。
山を越えるにはスイッチバック式の場所や二重のループ式のトンネルなどもありました。
谷間にはオアシスと思われる針葉樹に囲まれた集落が所々に見られます。
遠くに見える長い橋はこの列車が登ってきた線路の陸橋です。

谷間に囲まれたオアシスの街


乗り越える最も高い場所にある駅で「尼勒克(ニルカ)駅に到着。
ここの駅周辺には駅舎があるだけで何にもありませんが、多くの乗客は、
ここで休憩時間があると知っているらしく、みんな列車から降りて身体を延ばしていました。
発車時刻になるとぞろぞろとまた列車に乗り込みます。
乗務員の交代とか、牽引する機関車の交代があったのかも知れません。

「尼勒克(ニルカ)駅に到着


北京時間の21時に「伊寧(イーニン)」駅に到着、ぞろぞろと出口へ。
だいぶ外も暗くなってきていて日本の午後7時くらいの明るさです。
駅から外に出てタクシーでイーニンの中心街へ向かいました。
21時30分ころ目的のホテル「カザフ友誼賓館」に到着。
ホテル近くのレストランで中華料理を注文してホテルで夕食。

ホテルで夕食


2011年9月8日

目が覚めた7時の外はまだ暗い時間でした。
8時30分ころに日の出があり、日本とは朝晩の明るさがかなり違うイメージです。
9時に一階のレストランで朝食をとって部屋に戻りました。
その後すぐにフロントに昨日の千葉大学の留学生が現れて会う事になりました。
彼女は今年(2018年8月)にも連絡があって、卒論の事などで交流があります。

千葉大学の留学生と平井教授


彼女は日本語はもちろん、現地のウィグル語も話せますし、北京語も話せるので、
何かと通訳として役立ってくれるのではと期待して今日の行動予定を話しますと、
彼女がイーニンにある政府の森林管理局に案内してくれるという事になり、
早速、タクシーで森林管理局へ行ってみました。
結局は「野生リンゴ」の調査に来た事は伝えたのですが、森林管理局では管轄外との事。
あきらめて当初予定していた「果子溝」の「野生リンゴ」調査に向かう事になりました。

政府の森林管理事務所

イーニンも街としては大きな街と見えて道幅も広く、車の交通量も多く、
たくさんの人々が行き来しています。デパートや大学もあります。
人口は50万人を超えているそうです。別名グルジャ(ウィグル語)市です。
最近も東トルキスタン独立運動が盛んで頻繁に暴動が起こるようで、
公安や警察の車がサイレンを鳴らして走っています。

「伊寧(イーニン)」の街並み

11時イーニンを出発。中国国内は車が右側通行で左ハンドルなのでアメリカ国内と同じです。
高速道路には最高速度の標識はありますがほとんど守られていません。
場所によっては道側の意外な場所にスピードガンを手に持って測定している事もありました。

一路タクシーで果子溝へ

イーニンから果子溝までは片道160kmの道のりです。
道の周囲には「天山トウヒ」が見られます。
タクシーはずうっと追い越し車線を走行していました。

果子溝に近くなってきました

果子溝の近くまで来ると道の左側に野生リンゴの木ではないかと思われる林が見えて
ここでタクシーを止め、一旦それらしい樹木を観察することにしました。
ちょうど蜂蜜を売っている店の場所だったので駐車する事が出来ました。
どうやらここに店を構えるために道路の金網の柵を壊して利用しているみたいです。

途中で野生リンゴと思われる林が

野生リンゴの木ではないかと思われる樹木の場所に入ってみました。

樹木のそばに寄ってみました

樹木にたくさんの赤黒い実が着いていました。
自分としては始めて見る色、形の実で先生も後で調べてみますと言っていました。
しかし、確かに葉はリンゴの仲間の様な感じがしました。

赤黒い実が着いていました

そこの場所を後にしてどんどん上り坂を進んでいくと
やはり野生リンゴと思われる木がどんどん多くなってきました。
写真の手前のこんもりした樹木が野生リンゴの様です。
これからさらに高地へとタクシーが進んでいくとこの樹木は見られなくなります。

野生リンゴと思われる木がどんどん多くなってきました

ここまで高い場所に来ると周りの山々も樹木が少なく
牧草地がちらほら現れてきます。
高速道路を走っていたはずですが、道の真ん中を羊の群れが占拠しています。
その群れをすこしづつ避けるようにタクシーは進んでいきました。

高速道路に現れた羊の群れ

牧草地から現れた牧童が引き連れている牛の群れ。
牧童がいると牛たちもきちんと道をあけて通してくれます。

牧童が引き連れている牛の群れ

この辺りまで来ると一帯が果子溝の谷です。
起伏も激しく鉄橋やトンネルも多くなってきます。

一帯が果子溝の谷

果子溝の谷が終わる頃に目の前に見えてきたのは高速道路の建設現場です。
この峠を超えるといよいよセリム湖が見えてくる頃です。

高速道路の建設現場

果子溝の峠を越えたところにセリム湖がありました。
湖は真っ青な色、山には万年雪が見えます。山からの湧き水でしょう。
水辺へ行ってみると澄みきった透き通ったとてもきれいな水です。

湖は真っ青な色

セリム湖の湖畔を歩いていると少年らしい男の子が現れて「馬に乗ってくれ」と言う。
30元を払って湖の周辺を10分ほど乗り回しました。
この日はここで昼食をとってセリム湖から果子溝を通ってイーニンへ戻ります。

馬に乗っていい気分

イーニンの街外れまで来たら、道の脇にたくさんの果物屋が並んでいたので、
タクシーを止めてどんな果物があるか見に行きました。
スイカ、ブドウ、りんご、なし、メロンなどいつも日本でも見かける果物。
しかし、中に見かけない珍しい果物があって何かと聞いたら「蟠桃」という。
そう言えばバスの乗換えや電車の乗換えする時、この箱を持っている人を見かけました。
「蟠桃」と知るまでは何の食べ物かと思っていました。
先生の説明によるとこの「蟠桃」は孫悟空の物語の中に出てくる果物だとの事。

孫悟空の物語に出てくる蟠桃

この市の少し向こうには歩道を利用して収穫したトウモロコシを干していました。
以前、上海近くの「秦興市」でも見かけましたが道路いっぱいに粟やトウモロコシを干していました。
日本ではあまり見かけない光景かと思います。

歩道に広げて乾燥させています

タクシーが信号で止まったので外を見たら赤い門があって、
看板を見ると「イーニン青年農場」と書かれていました。
同じような入り口の門や塀で囲まれた広い敷地に開拓団の集落がある様です。
中国政府の政策で、地方へ漢族を住まわせて開墾させている様です。
その所為で地元のウィグル族と漢族のいざこざが絶えないみたいです。

「イーニン青年農場」

こちらはイーニンの教育学部、所謂「師範学校」です。
学生がたくさんいて出入りも多いようです。

所謂「師範学校」

宿泊先の「イーニン友誼賓館」に戻ってきました。

ホテル「イーニン友誼賓館」


2011年9月9日

明けて9日の朝早くホテルを出てバスターミナルへ向かいました。
バスターミナルで「新源行き」の切符を購入。
新源までは30分おきにバスがある様で9時発のバスに乗りました。

イーニンのバスターミナル

「新源行き」のバス発着場。

「新源行き」のバス発着場

バスターミナルを出たバスはイーニンの街を出る所で停車。
バスの車掌が回ってきて「身分証」を出せと言って全員の客から
身分証明書を受け取って、我々は「パスポート」を渡した。
かれこれ待たされること30分、後に公安からパスポートが帰って来て出発。

イーニンの検問所

バスは10時半頃に一時トイレ休憩でアルマルという停留所で休憩を取る。
11時にアルマルのバス停を出発しさらに12時半頃にまたトイレ休憩。
13時30分に目的地「新源」のバスターミナルに到着しました。
新源の人口は約25万人なので、青森市や八戸市よりやや少ないくらいです。

新源の街並み

新源の中心街からタクシーを拾って、さらに20km程離れた「野果林風景旅遊区」という
野生リンゴがたくさん見られるという場所へ向かった。
途中でやはり道路には牛や羊を移動させている牧童を見かけた。

新源の街並み

新源の街を出ておよそ50分で「野果林風景旅遊区」に到着。
入り口には数人の男たちが賭け事をしていましたが、管理人らしい。
入場料を3人分払って中へと歩いて行きました。

「野果林風景旅遊区」に到着
立ち入りが出来ない場所と入れる場所があって、中に入ってみると、
立派な野生種のリンゴの樹がたくさんありました。
ちょっとわがままですが、ここまで管理されていると興味が薄れます。

野生種のリンゴの樹

「野果林風景旅遊区」を出たところに管理所があって役人が常駐していました。
管理所の役割が何なのかは定かでありませんが、
盗掘を警戒しているのではないかと思われます。
まさか日本のように品種改良や防除対策などはしているはずがない。

管理所があって役人が常駐

管理所の前に移植されていた野生リンゴの樹からリンゴが落果していました。
この日は16時発のバスでイーニンのホテルへ戻りました。ホテル着は夜8時30分でした。

野生リンゴの樹からリンゴが落果


2011年9月10日

今日10日は7時30分起床で、9時に朝食。昨日から腹痛と下痢に悩まされ落ち着くまでホテルで休息。
昨日から腹痛と下痢に悩まされ落ち着くまでホテルで休息。
11時頃には落ち着いたのでコルガス(カザフスタンとの国境の街)へ行く事にしました。
コルガス行きのバス乗車券を購入するためバスターミナルへ行きました。
相変わらずバスターミナルは人でいっぱいでした。

コルガス行きのバス乗車券を購入

コルガス行きは大きなバスではなく所謂マシュルートカで13人乗りです。

マシュルートカで13人乗り

11時30分に出発したマシュルートカは午後1時にコルガスに着きました。
バスターミナルから徒歩で国境検問所へ向かいました

マシュルートカで13人乗り

国境検問所へのアプローチ道路。検問所までかなりの距離があります。

国境検問所へのアプローチ道路

国境検問所の手前の建物に入ってみると出入国の税関があります。
この日はなぜか「カザフスタン」との国境が
閉鎖されていたため待合室には誰もおりませんでした。

出入国の税関

国境検問所の建物は警備が物々しい感じでした。
「カザフスタン」との国境が閉鎖されていた関係でウクライナの女性が
「明日でビザが切れてしまうのでどおしても通してほしい」と泣いていました。
理由がわかっていても国境を通る事は出来ないのであきらめて
中国の公安に事情を説明して相談するように勧めました。
中国検問所の警備員も英語が通じないのはちょっと困ったものです。

出入国の税関

中国検問所の車両を通すゲート。ここには長~~い貨物車の待ち行列が出来ていて、

中国検問所の車両を通すゲート

何時になったら通れるのか見通しのないまま、車を降りて街へ食事に行ったりしている様子です。
広い場所ですからまだまだトラックの並ぶスペースはあるようです。

長~~い貨物車の待ち行列

我々はいつまで待っていてもしょうがないので、「国際展示中心」へ行ってみる事にしました。
ここはとにかく立派な近代的なデザインの建物がいくつも並んでいます。

「国際展示中心」

「国際展示中心」の全体を管理している中央管理センター。
中国の経済発展に懸ける意気込みをひしひしと感じます。

「国際展示中心」

「国際展示中心」にはたくさんのパビリオンが建っていますが、
どの建物もこの時点では入居しているテナントが少なくて、
買い物客も少なくあまり活気がありませんでした。
また建築の仕上げがお粗末で、外から見ると豪華ですが、
近くに寄って見ると汚くてほとんど投げやりです。

「国際展示中心」

16時にコルガスのバスターミナルに行って16時30分発の
イーニン行きのマシュルートカに乗りました。、
この時も乗って間もなく検問所で「身分証」のチェックがありました。

検問所で「身分証」のチェック

イーニンに到着したのは夜6時です。北京とは2時間の時差がありますが
公式にはイーニンは北京時間の18時ですからまだ明るいのです。
この後、伊犁河大橋の見学に行きました。なかなか立派な橋です。

伊犁河大橋

伊犁河大橋にはこの時間にもたくさんの観光客が訪れていました。

伊犁河大橋の観光客

伊犁河大橋からホテルへ帰る途中の道路の両側には
植えられた「リンゴの並木」がずっと続いていました。
さすがに「リンゴの街」のイメージづくりに一役買っていますね。
この後、一旦ホテルに戻ってチェックアウト。
この後19時にタクシーを拾って一路、イーニン空港へ向かいました。

イーニン空港へ向かいました

イーニン空港に到着後、19時50分にチェックイン手続きを開始。
ここでトラブル発生。私のパスポート番号が航空会社の登録されたe-ticket番号と符合しないとの事。
何度かカウンターと往復して、結局航空会社がデータを入力するときに間違えたと分かりました。
20時45分に無事チェックインを完了して搭乗ゲートへ向かいました。
この時の夕陽がとてもきれいでした。空気が乾燥している所為でしょうか。

夕陽がとてもきれいでした

イーニン空港を21時13分に飛び立った中国南方航空CZ6828便は一路ウルムチへ向かいます。
ウルムチ到着は22時5分、空港からはタクシーで「ホテル電力賓館」へ向かいました。
ホテル到着は23時ちょうど。チェックインを済ませて部屋に入りました。


2011年9月11日

ウルムチの「ホテル電力賓館」を朝9時30分に出発してトルファンへ向かいます。
ウルムチ到着は22時5分、空港からはタクシーでへ向かいました。
先ず最初に着いたのはトルファンの砂漠地帯に忽然と現れた緑の繁ったぶどう畑。
ここのぶどう畑を潤しているのは天山山脈から流れてくる雪解け水を、
{カレーズ」と呼ばれる縦横に繋ぐ地下水道網の建設によるものです。
およそ2000年以前に建設が始まったとされています。

「カレーズの博物館」の建設工事模型


次に向かったのは彼の「孫悟空と三蔵法師」で有名な「火焔山」です。
こちらはトルファン盆地の中部にあり、全長は約100km、幅は平均10kmとされています。
極度の乾燥地帯で、夏には地表から立ち上がる陽炎によって
炎のように見えるので火焔山と呼ばれるようになったそうです。

天山山脈の麓の観光地「火焔山」


次に向かったのはトルファンから東へ行った所にある「高昌故城遺跡」です。
紀元前1世紀の漢代から13世紀にモンゴル軍により滅ぼされるまでの間、
新疆における政治・経済・文化の中心地の一つでした。
三蔵法師の「玄奘三蔵」がインドへ仏典を求める旅の途中に、
この場所で国王・麹文泰の勧めで説法をしたという伝説があります。

「高昌故城遺跡」の観光馬車


高昌故城を後にしてトルファンの市内へ向かいました。
トルファンでは昼食のためタクシーを止めて、
トルコ料理の「カバブー」を食べることにしました。

トルコ料理のレストランで「カバブー」を食べる


16時頃にトルファンを出発して「ウルムチ」へ向かいました。
ウルムチまでの途中には高速道路の建設現場に遭遇しました。

高速道路の建設現場


またさらには新幹線の工事現場もありました。

新幹線の建設現場


中国の国土の広さ、スケールの大きさに驚かされました。
谷間を抜けて広い砂漠の平原に出るとおびただしい数の風車が
目に飛び込んできました。台数はとても数えきれませんが1000とか2000とかの単位でしょう。
看板には「中国風谷」と書かれていました。
ウルムチのホテル「電力賓館」に到着したのは20時30分。
ホテルの夕食を済ませて就寝。

風力発電の「中国風谷」


2011年9月12日


朝6時に起床。8時にチェックアウト。
ガイドブックの案内にウルムチから近い場所に「天山天池」という
ボゴダ山脈の中腹、標高約1900メートルにある神秘的な湖で
世界自然遺産には「新疆天山」名称で登録されています。
しかし、我々は帰りの飛行機の時間とのせめぎ合いで、
9合目付近まではケーブルカー、電気自動車を乗り継いで行きましたが、
電動カートに乗る段階で待ち行列に阻まれ、登山を断念。

世界自然遺産「新疆・天山天地」

11時30分にタクシーに乗車して再度ウルムチへ向かいました。
ウルムチでは昼食後、繁華街に出て街並みを散策しました。

ウルムチの中心市街地

ウルムチ空港へは16時に到着、まずは国内線で上海へ向かいました。
ウルムチからは「中国東方航空 MU5286便」に乗り、21時10分(2時間の時差)
上海浦東空港に着陸。すぐにタクシーを拾って「ホリディイン上海」へ
ホテルチェックインは22時15分でした。

2011年9月13日


朝6時に起床。7時25分にチェックアウト。タクシーで今度は国際線なので
上海虹橋国際空港へ向かいました。9時に搭乗手続をして、9時35分、一路羽田に向かって出発。
羽田空港には13時30分到着でした。

以上が今回の旅行の顛末でした。


中国・新疆ウィグル自治区の旅は以上です。


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