青森県黒石市・對馬省次、黒石には無いと思っていた14世紀の板碑の痕跡が浅瀬石にありましました

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今回は 2024.8.11 に更新しました。
次回は 2024.8.18 に更新予定です。

黒石には無いと思っていた14世紀の板碑の
痕跡が浅瀬石にありましました


その昔、いろいろな戦乱の世をくぐり抜けて黒石の
高賀野から堀越を経て(クリックで大画面)

弘前市の八幡宮の入口付近の西側一角にひっそりと
保存されていた(クリックで大画面)

黒石の大善院にあった板碑は弘前市の八幡宮にある。
(クリックで大画面)

黒石の板碑は高賀野付近にあった大善院の一角に
あった高速道路のインターがある(クリックで大画面)

現在は黒石市京町へ移転しているが妙経寺は昔
高賀野からこの付近に移転した(クリックで大画面)

数年前津軽地方の板碑について調査した事がありましたが、その時は
黒石には板碑が存在しなかったとばかり思っていましたが、最近の
情報によると「青森県史」に元々黒石市浅瀬石の高賀野地区にあった
「大善院」に数基の板碑が存在していたらしい。その大善院は津軽を
統一した津軽為信によって黒石浅瀬石から弘前の堀越城へ移転された。
おそらくこの時大善院にあった板碑も堀越へ移設されたと思われる。
また、現在保存されている弘前市の八幡宮にどのような経緯でいつ頃
移されたのかは全く不明との事です。
「陸奥古碑集」という本によれば「弘前市田町の八幡宮には大善院の
板碑があるが文字は磨滅して判別できないが高賀野村から移転した
ものである」という。詳細は不明であるとの事ですが、碑に書かれて
いる梵字が左右二文字が刻まれていて、四角の枠で囲っているのが
特徴的であるとの事です。
黒石には板碑が存在しなかったと思っていましたが、
黒石にも存在していた事がわかりました。



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そば生産組合牡丹のそば粉の購入先
令和5年産の種は10月上旬に刈取り作業をし「天日干し」をしました。
令和5年産の牡丹そばの石臼挽きそば粉は
(令和6年7月20日)完売となりましました。
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