青森県黒石市・對馬省次、黒石市前町の上原呉服店は近江商人の末裔でした

あずましの里通信へ戻る
今回は 2026.1.18 に更新しました。
次回は 2026.1.25 に更新予定です。

津軽信英公が陣屋を造り町割りした後
進出した近江商人の存在を示す証


中町の酒蔵「中村酒造店」のこみせには雪除けの為
ガラス戸(波うっている)があり吹雪を遮っている(大画面表示)

「中村酒造店」には杉玉が上がっていました
他にはない大きさです(大画面表示)

中町の角には当時の銭湯「松の湯」があります
大きな松があり風情があります(大画面表示)

通常こみせと用水堰の間には雪や雨を遮る戸板が
あるのですがその間から屋根の雪がはみ出して(大画面表示)

以前柱の鉄の輪を「馬つなぎ」と紹介しましたが
正しくは「さつなぎ」との事です(大画面表示)
 ・・・
黒石市には風土として近江商人の文化が色濃く残っています。
それは江戸時代明暦年間に弘前藩の若き四代目城主信政公の後見役として
江戸徳川から任ぜられ黒石の地に陣屋を構えることになった津軽信英公が
所領五千石を与えられた事に始まる。その時の所領地は黒石、平内、群馬県
尾島(上野國大館)の三か村である。その後信英公は黒石の町に活性化させる
ため、江戸詰で知り合った近江商人に声をかけて黒石は水が綺麗で米が
美味しい所なので是非黒石で酒造りをし日本海航路を使って全国に
売ってはどうかと持ちかけて現在の横町十文字周辺に誘致した。
現在すべての情報は不明ですが、一部分が判明しています。
江戸時代後期には横町十文字周辺に「三上家長太郎(南角)」
「柳家歳兵衛(北角)」「池田屋太郎兵衛(西角)」「鳴海文四郎(東角)」
が酒造りをしていた様です。このうちの鳴海家は天保10年にそれまで
酒造りをしていた「柳家藤右衛門(東角)」を買い取って酒造りをした。
また「澤谷加藤成之助」は江州彦根の近江商人であったそうです。
-------------
The culture of the Omi merchants remains strong in Kuroishi City's local environment.
This began during the Meireki era of the Edo period,
 when Tsugaru Nobufusa, appointed by the Edo Tokugawa shogunate
 as guardian to the young fourth lord of Hirosaki Domain, Lord Nobumasa,
 was granted a fief of 5,000 koku and ordered to establish his camp in Kuroishi. 
At the time, his fief consisted of the three villages of Kuroishi, Hiranai,
 and Ojima (Odate, Kozuke Province) in Gunma Prefecture. 
Later, in an effort to revitalize the town of Kuroishi,
 Lord Nobufusa approached an Omi merchant he had met while stationed in Edo,
 suggesting that Kuroishi, with its clean water and delicious rice,
 should brew sake in Kuroishi and sell it nationwide via the Japan Sea route. 
He then invited the merchants to establish a sake brewery
 in the area around present-day Yokocho Jumonji.
While not all of the information is currently known, some parts are known.
In the late Edo period, sake breweries around Yokomachi Jumonji
 were operated by Mikamiya-Chotaro (southern corner), Yanagiya-Toubei (northern corner),
 Ikedaya-Tarobei (western corner), and Narumi-Bunshiro (eastern corner). 
Among these, the Narumi family purchased the sake brewery Yanagiya-Toemon (eastern corner)
 in 1837 and began producing sake there. 
Sawaya-Kato (Narinosuke) was an Omi merchant from Hikone, Goshu.
-------------

(注)
「黒石八郎のホームページ」を見てください。
皆様の「八ちゃん」へのご支援をお願いいたします。
黒石八郎さんの公演依頼の申し込みは直接、電話 or Faxで
(0172-28-3028) へお願いします。

これまでにここで紹介した写真の履歴(過去52週分)
これ以前の物は順次削除しています。
--------------------------------
令和7年産の「新そば」の販売は11月1日から発売開始しました。
--------------------------------
最近のそば生産組合牡丹の活動は ここをクリックして下さい。
--------------------------------