![]() キルギスの民家の多くは土壁で造られている |
![]() アルスランボフへ向かう国道 |
![]() モスクワのシェレメチボ空港 |
![]() オシュの空港で一緒に降りた新婚カップル |
![]() アエロフロートSU261便の機内サービス |
![]() キルギスの英雄「マナス王」の銅像 |
![]() ウズゲンでの昼食は大きなパン |
![]() アルスランボフは18時30分でもまだ明るい |
![]() 女性はイスラエル、男性はイギリスから来ていた |
![]() 民宿・マシュールさんのお宅のリンゴの木 |
![]() 地図の赤い丸の部分が今日回ったエリアです |
![]() 写真を写して欲しいとせがむ子供たち |
![]() みんな人懐っこい子供たちです |
![]() かなりの急な道なき道を登ると開けた牧草地に出ました。 正面の高い山が「バーバシタン」 |
![]() 牧草地のリンゴの樹。 |
![]() クルミの木の林。 |
![]() 急なクルミの林の道なき坂を下ったら滝がありました。 |
![]() 相当に古い型に見える。ソビエト製ではないかと思います。 |
![]() 正面の山が「バーバシタン」タンは山という意味 |
![]() ゆるやかな山道を帰り道なのか現地の人がロバを引き連れて |
![]() 周囲はほとんどがクルミの樹ばかりでした |
![]() 牧草地には牛や羊が放牧されていました。正面は「ショムラット」という二番目に高い山です。 |
![]() 下校途中だろうか、中学生くらいの子供たち。 |
![]() アルスランボフの滞在先となった民宿・マシュール |
![]() 民宿・マシュールの食堂脇にあったリンゴの木 |
![]() 民宿・マシュールさんのお孫さん |
![]() 昔懐かしいクランクを回してエンジンを始動する |
![]() アルスランボフ最終日の中央広場。 |
![]() バザールコルゴンには白タクがたくさん待機していました。 |
![]() カラコル峠に向かう途中の景色。 |
![]() カラコル峠の広場にはこんな露天があるだけで何もなかった。 |
![]() 途中のトイレ休憩地点。 |
![]() さらにタクシーは急峻な坂道を下っていく。 |
![]() さらに下っていくと遠くに大きな湖が見えてきた。 |
![]() 湖の周囲を大きく迂回してトクトグルへと向かう。 |
![]() 湖を周回する直線道路の向こうにトクトグルがある。 |
![]() トクトグルのモーテルに宿泊。タクシーはここでカラコルへ帰って行きました。 |
![]() さっそくモーテルに荷ほどきして夕食を注文しました。 |
![]() モーテルの朝食は小龍包、玉子焼きと紅茶、味噌汁でした。 |
![]() モーテルの窓から見える外の景色。 |
![]() モーテルの前でタクシーを待つメンバーとモーテルのご主人。 |
![]() カラバルタ峠を越える途中の風景(1)。 |
![]() カラバルタ峠を越える途中の風景(2)。 |
![]() カラバルタ峠を越える途中の風景(3)。 |
![]() カラバルタ峠を越える途中の風景(4)。 |
![]() カラバルタ峠を越える途中の風景(5)。 |
![]() カラバルタ峠を越える途中の風景(6)。 |
![]() ビシュケク間近になって道路標識に表示が出てきました。 |
![]() ビシュケクのガソリンスタンド。 |
![]() チョルポンアタの夕食をした中国料理店。 |
![]() 夕食の中国料理。 |
![]() チョルポンアタで宿泊したホテル。 |
![]() 宿泊したホテルの中庭に実っていたリンゴ。 |
![]() ホテルの中庭にあった梨の実。 |
![]() カラコルの市街地にある「インフォメーション」。 |
![]() 宿泊先となった「ゲストハウステスキー」。 |
![]() カラコルの市街地を走る車。 |
![]() イシククル湖周辺の地図。 |
![]() ゲストハウスから見える朝の「天山山脈」。 |
![]() 赤い果肉のリンゴのサンプル。 |
![]() プルジュアルスキー記念館へ向かう定期バス。 |
![]() 記念館入り口に到着。 |
![]() プルジュアルスキー記念館に到着。 |
![]() 世界遺産になっている「ロシア正教」の木造教会。 |
![]() 木造教会を出た所に造花の門前売店。 |
![]() 「カラコル」から「バルクチ」まで行く南回りのマルシュルートカ。 |
![]() ビシュケク行きの車が道の途中で急停車。 |